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【感想_0025】「陰騭録」を読む / 安岡正篤

本のタイトル:「陰騭録」を読む

 
 
 
 

著者の紹介:

安岡正篤

日本の易学者、哲学者、思想家。明治31年大阪市生まれ。大正11年東京帝国大学法学部政治学科卒業。
 
 
昭和20年8月15日、昭和天皇によるいわゆる「玉音放送」で発せられた「終戦の詔勅」の草案作成にもかかわり、また「平成」の元号の考案者でもある、日本の歴史を作った大碩学。
 
 
戦後24年、師友会を設立。政財界のリーダーの啓発・教化に努め、その精神的支柱となる。中でも、昭和の名宰相とされる佐藤栄作首相から、中曽根康弘首相に至るまで、昭和歴代首相の指南役を務め、さらには三菱グループ、東京電力、住友グループ、近鉄グループ等々、昭和を代表する多くの財界人に師と仰がれた。その教えは人物学を中心として、今日なお日本の進むべき方向を示している。
 
 

「陰騭録」の著者:袁了凡

中国の広西、または浙江省出身。1533年生まれ。明時代の役
 
 
人・学者。1586年には科挙の試験に合格し、宝坻(現在の宝坻区)の県知事となった。
 
 
また日本でいえば豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592年)の際には、明軍に加わって朝鮮に来た記録が残っている。その際にあまりにも正論を主張したために、派遣軍司令官と相いれなくなり、左遷させられ国に戻る。その後は教育・学問に身を捧げ、74歳で亡くなった。
 
 
 
 

Takeaways:

1. 「陰騭録」の全容

明の時代、幼少期の袁了凡(名は黄)は、早くに父を失い、片親で育てられ貧乏な生活をしていた。
 
 
母からは、「医者になりなさい。人を助けることもできるし、一代で名を成すことが出来る。お父さんもそう言っていた」と言われていた。そのため、袁黄は幼いころから医学の勉強をしていた。
 
 
ある日、家の外で一人の老人に会った。仙人の様な見た目で風格があったので、袁黄は思わずのその老人に挨拶した。
 
 
するとその老人が自分に向かって、「私は孔といい、雲南出身である。易の学問の習得しているが、この地に袁黄という人間がおり、その者に『官史になるよう伝えなさい』とお告げがあったので、雲南からはるばるやってきた。どこか宿泊するところはないか」と言ってきた。そこで老人を連れて自分の家に戻り、母に訳を話すと、よくおもてなししなさいという。
 
 
そして老人に色々な易の占いを聞いたところ、小さな事でも全て当たっていたため、袁黄も母親も「この人は本物だ」と納得した。
 
 
そしてお告げの話になり、「あなたは医者の勉強をしているが、必ず役人になることになっている。今すぐ科挙の勉強をしなさい。また県考は14番目、府考は71番目、道考は9番目で合格し、その翌年には禄米を91石貰い、進士の受験を受けることになる。その後、某年には地方長官に選ばれるが、3年半で辞表を提出して故郷に帰る。そして53歳に自分の家で息を引き取るでしょう。残念だけれども生涯子供には恵まれない」と。
 
 
自分はそのことをつぶさに記録し、謹んで常に肌身離さず持っていた。
 
 
その後、袁黄の生活は、全てその老人が言ったとおりに過ぎ、試験の合格の順位さえ全て的中していった。
 
 
しかし禄米を91石貰った後でなければ、進士の本試験に臨めないと言われていたのが、成績もよく周りからも大丈夫だろうと言われていたので、70石の時に試験官が進士の本試験に受けることが出来るよう手配してくれた。
 
 
そこで、これまで色々当たってきたけど、ついに外れるかと内心思っていたところ、試験官の一人が本試験受験に反対し、結局進士の試験を受けることが出来ず、そのまま年が過ぎていった。
 
 
悶々とした気持ちを持ったまま働いてはいたが、たまたま別の試験官が袁黄が書いた論文を読んで、「このような優秀で博学な男をくすぶらせているわけにはいかない」といい、特別に進士の試験を受けることが出来るようになった。その時に今までもらった禄米を数えてみると、ちょうど91石となっていた。
 
 
袁黄はそのことによってますます、人間には進むも退くもちゃんと運命が決まっている、なるようにしかならないのだと固く信じるようになり、それから願望、欲望、悩みがすっかりなくなってしまった。
 
 
ある日、袁黄が南京の寺で座禅の修行に訪れた。
 
 
そこのお寺の老人曰く、「あなたは本当に素晴らしい。三日三晩の座禅の中で一点の曇りもない。普通人間というものは、煩悩によって心の乱れるが、あなたにはそれが一切ない。一体今までどんな修行をなされてきたのか」と。
 
 
そこで袁黄は、「実は子供のころに、孔という老人から一生の事を占ってもらった。それがこれまでの人生すべて的中してきたので、人間の人生とは生まれ持った運命があるという事が分かった。だから煩悩を起こそうにも、迷う必要もないので、心に一切の悩みがないのです」と。
 
 
ところがそれを聞いた老人は、「この大馬鹿者よ。私はお前を悟りを開いた大人(たいじん)で、大変偉い人物だと期待していたが、それではただの凡人ではないか」と言い、すっかり軽蔑をしてしまった。
 
 
袁黄がどうしてかと聞くと、「勘違いをしてはいけない。確かに生まれ持った宿命というものは存在するけれども、宿命というものは変えられる。宿命というものは、あなたの前世からの業であって、その宿命の通りにこれまで生きてきたという事は、あなたは今、自分の人生で何もされていないから、前世の業通りの宿命の人生を進んできた。これが凡人以外の何であるか」と。
 
 
「じゃあどうすれば宿命を変えられるのか」と袁黄が尋ねると、
 
 
「それは、立命をすることだ。宿命というものは確かにあるが、それはあくまでも前世の業によって生まれるもの。その宿命を変えたければ、あなたは現世で立命をすることで、宿命を変えることが出来る。その立命の方法は『現世で良い業を積むこと』。これだけでいい。良いことを考えるだけでいい。これが立命をするという事です。」
 
 
袁黄はこの話を聞いてすっかり驚いてしまい、帰って妻にその話をしたところ、
「その方は素晴らしいことを仰っています。それならば、私と一緒に、毎日どちらが良いことを多くできるか競争しましょうと。そして、毎日良いことをした回数を記録していきましょう」と言ったので、それから夫婦で毎日良いことを考え、良いことを能動的にするようにした。
 
 
~~~~ここで場面が変わる~~~~~
 
 
袁了凡「息子よ。それからお母さんと一緒に毎日良いことを考え、良いことをするようになって、あの時の老人が何番で受かると言った試験にも1番で受かり、何年に一度落ちると言われた試験にも1回で合格した。そして、53歳で死ぬと言われていたのが、今74歳になった。そして一生子供が出来ないとも言われていたが、お前という素晴らしい子供も授かることができた。」
 
 
袁黄はあれから、名を学海と変え、最後に凡人の考えを卒業したという事で、名を袁了凡とした。
 
 
「息子よ。これからのお前の運命がどうなるか、私はまだ分からない。しかしもしお前がこれから大変な出世をして有名になっても、昔の落魄(らくはく)していた時の気持ちを持ち続けて、決して調子に乗ってはいけない。もっと豊かになりたければ、貧乏の時の気持ちを忘れてはならない。人望を集めるようになっても、身分が卑しくて誰からも顧みられなかった時のことを忘れてはならない。学問に優れるようになったら、まだまだ浅学で何も分からぬ自分であるという気持ちを失ってはいけない。これらの気持ちを忘れなければ、どんな時であっても、ぐずぐずと日を無駄に送ったり、享楽に溺れて進歩を止たりして、宿命の人生を歩むことはない。常に良いことを思い、良い事をする。良い業を積み続けることで立命し、宿命を脱し、必ず人生は良い方向に変化し始める。」
(落魄:落ちぶれること)
 
 

2. なるべく知れず生きる

ゲーテの若い友人に、マックス・フォン・クリンゲルという方がいるが、その人は後にロシアで出世をしたが、このように言っている。
「誠の人間というものは、彼の義理が要請する時と場合においてのみ、世の舞台に出なければならぬが、それ以外は退いて家庭に帰り、少数の友人と交わり、尊い書籍に学んで、なるべく知れず生きるべきである。」
 
 

3. ただ謙のみ福を受く

試験を受ける同胞の中で、最年少の子に向かって、「この人は今年必ず試験に合格するでしょう」と言った。その子が「どうしてそんなことが分かるのか」と聞くと、「ただ謙のみ福を受く」と言った。
 
 
人間は謙虚にして初めて幸福を受けることが出来る。試験を受ける同胞の中で、一番誠実で和やか、人を押しのけて自分だけ飛び出そうとするようなところも少しもない。
 
 

4. 益者三友、損者三友

「益友」とは「論語」にある言葉で、「益者三友、損者三友。直を友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟(べんぺき)を友とし、善柔をと友とし、便佞(べんねい)を友とするは、損なり。」と言っている。
 
 
直は、正直な人を友とし、うなずけるような諒(まこと)のある人を友とし、多聞、いろいろな善言を聞いて心にたくさん留めている人を友とする。これは益友である。
 
 
これに対して、便辟、その場その場だけを合わせるだけで少しも頼りにならない人間、善柔、前任ではあるけれどぐにゃぐにゃと気骨も気概もない人間、便佞、言葉巧みに人に媚びて、人の気に入るような振る舞いばかりするような人間、これらは損友である。
 
 

5. 罵る言葉

ある学問・文芸に秀でた有名な学生が予備試験を受けたが、結果は落ちてしまった。そこで腹を立てて「俺のようなものを落第させるとは、試験官は人を見る目がない」と言って罵った。
 
 
たまたまそこを通りかかった道の者がその言葉を聞いてにやっと笑った。学生はそれを見て更に苛立ち、「あなたはどうして私のことを笑うのか」と言った。
 
 
するとその道の者は、「あなたの文章を見れば、きっと賢くないのでしょう。」という。
 
 
「あなたは私の文章を見もしないで、どうして賢くないという事が分かるのか」と苛立って詰め寄ったところ、
 
 
「文章を作るには心がやわらぎ、平らかであることが大事だと聞いている。あなたが試験官をののしっている言葉を聞いていると、あなたの胸中は甚だ平らかでない。そういうことでどうして文章が巧みであり得ましょうか。」
 
 

6. 積善の家に余慶あり。

「易経」の文言に「善を積んだ家は必ずその余慶が後々まで及んで、子孫が栄える」という。
 
 

7. 恥と敬

いつくしみ敬う心をしっかりと持つという事はどういうことか。
 
 
およそ君子と小人を表面的に観察すれば、節義があって、廉潔で、立派な文章を書き、政治を上手に行う、というようなことは、君子も小人でも出来る。だから外見だけでは君子も小人もあまり変わらない。
 
 
ただ1点、心の持ち方はどうかという事になると、善悪がはっきりと白黒のように隔たっている。
 
 
だから孟子も、「君子と小人と異なる所以は、しっかりと心を失わないところにある」と言っている。つまり君子と言えども、他の人間に比べて格別頭脳や手腕が優れているという訳ではなくて、ただ心の置き方が違うという事。
 
 
「君子存する所の心」とは何かというと、仁、礼である。仁者は人を愛し、礼を知る者は人を敬する。だから常に人を愛し、人を敬う心を失わぬ仁礼を持つこと。
 
 

8. 善事の難しさ

「大抵人各々其の類に非ざるを悪む」。大抵人間というものは、自分と同類でないものを憎しみ嫌うのが普通である。
 
 
まして狭い同じ村の人間となると、善者が少なく、不善者が多いものであるから、たまたま一人の人間が善事を行うのを見ると、皆で寄ってたかってこれを非難し謗る。
 
 
善事を自立して行うのはなかなか難しいことである。だから善事は常に失敗しやすいものである。善人は常に人から謗られ、自ら完うすることが出来ない。
 
 
ただ仁人長者、慈悲深く徳高き人だけが、自らを正しく直して、これを成就させることが出来る。また一郷の元気を回復し、国を繁栄させることが出来るのも、このような善人である。
 
 

9. 恥知らず

孟子は「恥ずるほど人間に取って大事なものはない」と言っている。
 
 
それは恥ずかしいという心を持っていると、自ら省みて精進するようになり、やがては聖賢の域にも達することが出来るが、これを失うと、自ら省みることがないから、精進もしない。そのため禽獣に陥ってしまう。
 
 
したがって、恥ずる心を起こすという事は、間違いを改めるのに最も大事なことである。
 
 
恥と敬は一対のも。恥を知れば必ず敬を知る。敬を知れば必ず恥を知る。敬はより高き尊きものに対する人間の感情である。敬を知れば、自ら省み恥ずるようになる。
 
 
人間と動物との違いも突き詰めると、恥を知ると知らぬとに帰する。だから人を罵る一番の言葉を「恥知らず」といい、人間以下であると表すのである。その意味において恥とは、人間の進歩向上の出発点と言える。
 
 
 
 

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