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【感想_0026】会社再建 / 福永正三

本のタイトル:会社再建

 
 
 
 

著者の紹介:

福永正三
1938年生まれ。1966年京セラ入社。1987年富岡光学に赴任。1998年より富岡光学代表取締役社長に就任。退職後インドで仏教修行を体験し、全国で講演活動をしたり、京セラコミュニケーションズの相談役に就任した。2018年永眠。
 
 
 
 

Takeaways:

1. 富岡光学の前提

富岡光学は、大正13年に創業した老舗の光学機器メーカーだった。世に送り出した製品数知れず、リコーなどの大手企業とも取引をしていたことから、技術力の高い企業として評価されていた。そして富岡光学は京セラがヤシカを買収したことにより、京セラグループの一員となっていた会社だった。
しかし富岡光学は、昭和から平成へと時代が変わるにつれ、累積赤字は30億、月1億の赤字が出る会社で、再建のために京セラの優秀な社員が何人も送り込まれていた。その要因としては、経営陣が頻繁に変わったり、時代のニーズに合わない製品開発などが挙げられるが、最も大きな問題は、伝統的に労働組合が強かったために、従業員は働く気力を全く失い、経営者と従業員との距離が離れ、経営者と社員が真逆の方向を向いていたことだった。
 
 
 
 

2. 全体像

「この会社は心が病気なのだ」と彼は気づく。そして、社員の心を一つにすれば、必ず再建は可能だろうと考え、その目標に向かって邁進した。人の意識を改革する。言葉でいえば立った一言で済むことだが、この世にこれほど困難なことがあるだろうか。例えてみれば、それは異教徒に対して別の宗教を布教するようなものだ。彼は決してあきらめることなく、粘り強く語りかけていった。
まず赴任当初は社員に対して朝の門であいさつをすることから始め、古びた木製の社屋の掃除をし、社員一人一人に声をかけ、労働組合と血を流すような激しいやり取りを粘り強く実践し、会社が自立するために何をするべきか、社員一人一人に聞き、心に染み入るまで語り合っていった。
その後、彼が富岡光学のに赴任してから2年10か月後、月に1億の赤字を出していた会社が初めて150万円の黒字に転換した。
その後も業績は好転し、6年で月約1億円の利益を出せる会社になり、8年後には年間売上74億、利益11億4000万を上げる変身を遂げた。
 
 
 
 

3. やるからには「必ずできる」と信じる

やれば必ずできる。どんなことにも絶対という事はないはずだ。だが時には、もしかすると駄目かもしれないという思いがよぎることもある。しかし、出来ないかもしれないという不安を抱いたままでは、取り組み方が力の弱いものになってしまって、出来ることもできなくなってしまう。やはりことを成すにあたっては、必ずできるという強い信念を持って取り組みたい。
(※22年務めた京セラの蒲生工場から富岡光学に出向してくれと依頼された際、富岡光学の話も少しは耳にしており、初めは左遷かと思った。回答しない日が数カ月続いたが、稲盛会長の言葉に押され、出向すると決めた時の気持ち。)
 
 
 
 

4. 富岡光学の再スタート地点

奥多摩の一歩手前の青梅の山の中にある会社の敷地に入った途端、気持ちが暗くなった。会社の門は傾き、昔の小学校のような古汚い木造の建物の会社で、まるで映画のセットに迷い込んだようだった。2階に上がれば階段がギシギシ軋み、階段の隙間からは1階を除くことができ、歩けばほこりが1階に落ちるありさま。従業員の制服は汚れ、靴のかかとを踏んでスリッパのように歩いている。7時始業にもかかわらず従業員の半分も来ていない。8時遅刻出社してきたかと思えばおしゃべりをして時間を過ごし、10時になって30分ほどタバコを吸ったり日向ぼっこをして休憩をする。昼食の15分前から仕事を辞め、昼食後ものろのろと仕事をし、15時になればまた30分の休憩を挟む。私が出向してしばらくして、富岡光学の組合が出版している社内新聞「どんぐり」には、「京セラから来た憲兵、福永正三」と書いてあった。
叫びたくなる毎日だった。富岡光学に赴任して数日がたって、「この会社は心の病気だな。経営者と管理者と従業員が全く別の方向を向いている。これではうまくいくはずがない。みんなの心を1つにしないといけない」と思い、人の心によって会社を変革すると闘志を燃やした。
 
 
 
 

5. まずは「挨拶」

社員の心を1つにするために、私はまず挨拶をすることから始めた。朝、出社する社員一人一人に門の前に立って挨拶をした。初めのうちは全く言葉が返ってこない。ちらっと見るだけで無言のまま通り過ぎていく。そうした毎日が続いた。そのうちに私は”おはようおじさん”と言われるようになった。それでも諦めることなく、毎日、挨拶を繰り返した。そのうちに少しずつ言葉が返ってくるようになった。さらに社員の名前と顔が覚えられるようになってくると、社員の身体の変化にも気づくようになった。「今日は顔色が悪いな、大丈夫か」などと声をかけることもあった。門であいさつが出来ないと、工場を回って声をかけた。挨拶だけで2時間以上を費やしたが、出来るだけ一人一人に声をかけていった。心を開いて言葉を交わすと、お互いに何か得られることがある。
 
 
 
 

6. 次は「掃除」

挨拶の次は掃除をした。元々掃除は委託していたが、京セラでは社員自らが掃除をすることになっていたので、富岡光学でもそれを導入した。まずは自分から手本を示すことにした。トイレもどこでもまず自分で掃除した。社員は冷ややかな目で見ていた。私は従業員に、会社の隅々まで掃除をするように命じた。初めはしぶしぶやっていたが、次第に掃除をするようになった。ある日、私が掃除した綺麗な床を、女子社員が土足で跨いで汚したという事があった。「おい!なんという事をするんや!あんたに綺麗にしてくれとは言わないが、せっかく掃除をしたところを汚すのだけはやめてくれ!」そう言うと、女子社員は私を睨みつけ、何も言わずに行ってしまった。掃除をすることに対して社員との軋轢も数う多くあったが、私は黙々と掃除を続けた。半日は挨拶をして、半日は掃除をする毎日。しかしこの当たり前のような基本を続けることで、社員との距離は近づき、少しずつ社員の反応も分かるようになった。
 
 
 
 

7. 社員と向き合いベクトルを揃える

富岡光学を改革するには、管理者を味方につける必要があった。午前8時の朝礼が始まる1時間前に管理者を集めて、唯一富岡光学に持ってきた「京セラフィロソフィ」を基に、会社再建について意見を合わせ、毎日1時間どんな小さなことでも問題が溶けるまで喋り、渾身を込めて議論しあった。「京セラフィロソフィ」をいきなり語り始めたところで、誰も分からない。それでも諦めずに、繰り返し繰り返し、フィロソフィを説いていった。
そのうち、管理者の中に同調してくれるものが出てきた。やはり会社に危機感を感じていたが、ただ何をすればいいか分からないために、再建のきっかけがなかっただけであった。そこでそのような管理者集め、再建の企画を真剣に話し合った。
「社員だって不平不満があるはずだ。それを一人一人面談して、聞いてみたらどうだろうか。」それを実行していった。
 
 
 
 

8. 社員への思い

富岡光学の社員の平均年齢は50歳。出向したときは何と葬式の多い会社だろうと思った。社員の家族の葬式が1月の内に必ずあった。その葬式の度に社員の家に行く。その家の見て愕然とした。小さく粗末な家であることが多かった。なぜかと聞くと、富岡光学には銀行がローンを貸してくれないという。当時はバブルの絶頂期で銀行はどんどん金を貸してくれる時なのにもかかわらず。
これでは社員が幸せになれないと思った。「富岡光学の社員を幸せにしなければならない。豪華と言えなくてもいい。人並みの家が買えるような給料を出してあげたい」と思った。
 
 
 
 

9. 社員への真剣な説教

私は社員を食堂に集め、「自立自活」というスローガンを掲げた。ずいぶんひどいことを言った。「皆さんはおかしい。給料は毎月もらっているが、それは自分たちの力で稼いだわけじゃない。京セラのグループ会社だから、赤字が出ても損失を京セラが埋めてくれて、京セラから給料を恵んでもらっているだけだ。あなたたちはホームレス以下だ。いや、ホームレスの方が、自分で食べるものを探してくるだけ自立できている。私たちは体裁のいいホームレスと一緒や。この会社を黒字にして、自分たちの飯は自分たちで食えるようになろうや。」
「福永さん、失礼なことを言うな!私も市民税やら税金を払っている!」
「いい加減にしてくれ。それは京セラがこの会社が赤字でも給料を払ってくれているからや。あんたが税金を払っているように見えるけれども、あんたは稼いでいない。京セラが税金を払っているんや。あんたは京セラにぶら下がっているだけや。自立もしていない体裁の良い高級ホームレスや。そんなんは税金を払っているとは言えない。」
「今、富岡光学の1人の1時間当たりの利益は500円しか出ていない。こんなのアルバイトしたほうがましや。社員みんなで隣の向上でアルバイトをした方が利益が出るんや。そんなの情けない。自分たちでまずは目標1500円くらい稼げるようになろうや。」
 
 
 
 

10. 富岡光学が変わるために守った事

私は5つの私たちが守ることを定めた。
1. 「年を取った」と言わない、思わない。肉体は年をとっても、心は常に若さを持ち続けよ。
2. 「何をやっても駄目だ」と思わない。思う心がダメにする。出来るという思いが成就につながる。
3. 「出来ない」という言葉は絶対に口にしない。出来るという思いが不可能を可能にする。
4. 何事も「人のせい」にしない。全ての現象は自分に起因すると考えて行動せよ。
5. 「過去のこと」は言わない。過去の踏襲は進歩も改善もない。今からどうするかを中心に考えよ。
 
 
 
 

11. その他に実行した例

1. 関東エリアの労働組合長、社内労働組合長などとのサシでの喧嘩のような議論。
2. 社員一人一人との面談。不満や夢を聞く。
3. 組合員を家に呼んで一緒にご飯を食べる。(初めは誰も来ず用意したすき焼きを!人で食べたが、少しずつ増えていった)
4. 京セラのアメーバ経営を導入した。
5. 社員の奥さんから感謝の手紙を受けた。(夫は家で子供にも馬鹿にされてたのが、最近変わって尊敬され始めたと。)
6. 労働組合と、細かな労働基準を1つ1つに詰めた。(休憩時間やら人事考課制度の導入やらなんやら)
7. 京セラ以外に自分で仕事を取ってくる。
8. 数字に妥協をせず、目標設定を徹底させた。絶対に許さない。
9. 既存、新規ともに値上げ交渉をして、値上げした。
10. 最後の会社として、親会社京セラとの取引も値上げ交渉に行った。「もう福永は京セラの人間ではない!」と言われて喧嘩になって、部下と帰ろうとしたが止められ、結局値上げに成功した。
これらをひたすら続けて、1990年には初めて年間150万円の黒字になった。やり遂げた喜びで涙があふれた。社員とお互い肩をたたきあった。しびれる瞬間だった。
 
 
 
 

12. やったこと時系列

1. 挨拶
2. 掃除
3. 管理者との理念共有
4. 従業員一人一人との対話
5. 自社フィロソフィの設定(5つの事)
6. その他実行した例に挙げたことなど
7. これらをひたすら繰り返す
 
 
 
 

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